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4月8日は花祭り

Bynikkansan

4月 7, 2017

花祭りは、仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日を祝う行事で、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)とも呼ばれます。発祥地はインドで、日本には奈良時代に伝わりました。「花祭り」という名称は、明治時代に浄土宗で採用されました。以来、宗派を問わず「灌仏会」の代名詞となっています。南伝仏教では「ウェーサーカ祭」と呼ばれ、チベット、インド、タイ、カンボジア、台湾、香港などでも行われています。

 

 

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仏教の聖地、ルンビニの花園

紀元前623年、インド歴第2の月、ヴァイシャーカ月(グレゴリオ暦4〜5月。北方伝では旧暦4月8日)の満月の日、お釈迦さまの生母で、釈迦族の王、シュッドーダナ(浄飯王)の后、摩耶夫人は、お産のためデヴァダハにある実家に里帰りする途中、現在のネパール南部、タライ平原にあるルンビニ (藍毘尼) の花園に立ち寄りました。

 

 

 

シャカ・プスカリーニ ©Basanta Bidari http://www.dtac.jp/

 

 

摩耶夫人の脇の下から誕生

当時、ルンビニの花園は、人々の娯楽やレクリエーションのための場所でした。摩耶夫人は、歩きながら花園を楽しんでいましたが、急に陣痛が始まったため、園の中央に位置ある池「シャカ・プスカリーニ」で身体を清め、お産の際に支えとなるものを探しながら、北の方角へ25歩進みました。そこに花が満開のアショーカ(無憂樹)の木(南方伝ではサール=娑羅双樹)があったので、支えにしようと、右手を伸ばして枝を手折ろうとした時、摩耶夫人の脇の下からお釈迦さまが姿を現しました。それから、たくさんの美しい花々が降るように咲き乱れ、8頭の龍王が天から舞い降りて甘露の雨を降らせ、それを産湯として、お釈迦さまを洗い清めました。

 

「六道輪廻」を超えて転生

誕生したお釈迦さまは、東西南北、四方にそれぞれ7歩歩み、右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんがゆいがどくそん)と言いました。7歩歩んだというのは、迷いを持ったものが輪廻する苦しみに満ちた世界「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六道輪廻を越えたということを表しています。また、7の数字は「永遠」を表わすことから、お釈迦さまが人々の苦しみを救うため、永遠に歩み続けるということも示しています。

 

 

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釈迦さま誕生のエピソードにちなんで、日本の仏教寺院では「花御堂」という花園に見立てた小さなお堂を作り、法要を行います。お堂の中には「灌仏盤」を置いて甘茶を入れます。盤の真ん中の水盤には、お釈迦さまの生誕時の像「誕生釈迦仏」を祭ります。参詣人たちは、この釈迦像の頭から、竹の杓子で甘露の雨に見立てた甘茶を注ぎ、拝みます。

 

 

 

花祭りの主役、誕生釈迦仏

写真は、東大寺ミュージアムに安置されている「誕生釈迦仏立像」です。1952年、像の周囲の受け皿「灌仏盤」と一具で、国宝に指定されました。奈良時代、天平勝宝4年(752年)に行われた大仏開眼会のために制作されたという説と、聖武天皇の一周忌以降に制作されたという説があります。高さは47.5cmで、銅製です。腕や胴のくびれを明確に造ることで、幼児の体形が表現されています。像の周囲の受け皿は「灌仏盤」といい、香水(甘茶)を受けるためのものです。灌仏盤の直径は約89cmで、立ち上がり部分には、魚々子地(ななこじ・先が点状の刃になったたがねを打ち込み細かい粟粒を置いたように見せる技法)に、山、雲、草、花、木、鳥、蝶、獅子、麒麟、童子、飛仙などの図柄が彫られています。

 

 

 

聖なる動物、白い象

【托胎霊夢】  

花祭りには、白い象が登場します。寺院によって、お釈迦さまの像が白い象の背中に乗っていたり、像の隣に白い象の置物を置いたりと、登場の仕方はさまざまです。これは、大乗仏教の経典『方広大荘厳経』(ほうこうだいしょうごんきょう、ラリタ・ヴィスタラ)に「摩耶夫人が35歳の時、6本の牙を持つ白い象が、右脇下から胎内に入る『托胎霊夢(たくたいれいむ)』を見、次の日にお釈迦さまを身ごもった」と記されていることに由来します。方広大荘厳経には「天界で暮らしていた菩薩が、ある時、地上の生きとし生けるものを導き悟すという自分の使命を思い出したため、天界のことは弥勒に託し、白い象に乗って摩耶夫人の胎内に入り、釈迦として生まれ変わった」とも記されています。

 

 

【六牙の白象】  

白色には最上、最善という意味があり、誕生仏が白い象に乗っている姿は、お釈迦さまが「最上の人」であることを象徴しています。また、6本の牙は、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」または「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を表しています。

 

白象に乗った普賢菩薩像(東京国立博物館蔵)

 

 

六根清浄

六根清浄とは、人間に備わった意識の根幹である、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)の六根を清らかにすることです。

 

 

六波羅蜜

「六波羅蜜」とは、菩薩の6つの修行徳目のことです。「波羅蜜」とはパーリ語、サンスクリット語で「完全・最高であること」を意味し、悟りを得るため仏教の修行で達成されるべき修行を指します。六波羅蜜とは、見返りを求めず他人を助ける「布施(ふせ)」、いかなることにも耐え忍ぶ強い心を持つ「忍辱(にんにく)」、自分で決めた決まりを守り自らを戒める「持戒(じかい)」、日々の努力を惜しまない「精進(しょうじん)」、第三者の立場で自分を見つめる「禅定(ぜんじょう)」、上記5つの修行を実践し中道を歩む「智慧(ちえ)」を指します。

 

 

ガネーシャと歓喜天

仏教の発祥地、インドでは、象は高貴な人の乗り物であり、白い象は「聖獣」として大切に扱われています。インドの主要な宗教、ヒンドゥー教には、ガネーシャという神様がいます。人間の体に、片方の牙が折れた象の頭と、四本の腕を持っています。あらゆる障害を司り、またそれを取り除くとされており、厄除け、財運、学問の神として信仰されています。  仏教に取り入れられたガネーシャは、歓喜(聖天)と呼ばれています。歓喜天は、仏教に帰依して仏教における三宝「仏、法、僧」を守りながら、財運と福運をもたらす神様として日本各地の寺院に祭られています。

 

ガネーシャ pinterest.com

 

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アジサイの仲間

「甘茶」は、ユキノシタ科のガクアジサイの仲間「アマチャ」の葉を乾燥・発酵させ、煎じてお茶にしたものです。黄褐色で、ほんのりとした甘みがあります。甘味成分として含まれる「フィロズルチン」と「イソフィロズルチン」は、ショ糖の400〜800倍、サッカリンの約2倍の甘さがあります。生葉は苦いですが、乾燥させると甘味が出ます。苦味成分としてタンニンを含みますが、カフェインは含みません。

 

アマチャ Agata Japan https://vn.agatajapan.com/

 

奈良時代は香水をかけていた

日本に花祭りが伝来した奈良時代は、甘茶ではなく、5種の「香水(こうずい)」をかけていました。甘茶をかける習慣は、江戸時代に広まりました。花祭りの日、寺院では灌仏盤に注がれた甘茶を振舞います。これを飲むことで、延命長寿、健康祈願、病気平癒などのご利益があるとされています。

 

墨をすって虫よけに

かつては、この甘茶で墨をすり、四角い白紙に「千早振る卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書いて、玄関や柱などに逆向きに貼り、虫よけのおまじないにする風習もありました。

 

http://blog.canpan.info/shikioriori/

 

お神酒の代用

「御法楽」という神社での祈祷を受けた甘茶の茶葉には「天茶」という称号が付けられます。長野県の佐久地方では、天神祭や道祖神祭などで、天茶をお神酒の代わりとして使う風習があります。

 

生薬としての甘茶

日本薬局方では、甘茶は抗アレルギーと歯周病に有効と記載されています。

 

甘茶 http://www.u-kuukan.net /content/files/K/kitagawadc /blog/

 

 

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お釈迦さまの本名

お釈迦さまの本名は、パーリ語で「ゴータマ・スィッダッタ(Gotama Siddhattha)」、サンスクリット語で「ガウタマ・シッダールタ(गौतम शिद्धार्थ、Gautama Śiddhārtha)」、漢訳で「瞿曇悉達多(くどんしっだった)」といいます。

 

釈迦立像 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/釈迦

 

「天上天下唯我独尊」の意味

「西遊記」の三蔵法師、玄奘三蔵法師が記した見聞録『大唐西域記』(646年)に、釈迦の誕生当時を伝える「誕生偈(げ)」というエピソードが記されています。「天上天下 唯我獨尊 今茲而往 生分已盡」という一節で、これを訳すと「世界の中で我のみが尊い。今ここに生まれてきたが、再び生きることはない」となり、釈迦はこの世で解脱するため「唯我独尊」であるという意味になります。これは「自分は何にも変わることのできないものとして生まれ、この命のままで尊い存在」「生きとし生けるものは、全てが尊い存在」とも解釈されます。

 

「オシャカになる」の語源

【花祭りのお釈迦さまに由来】  

失敗して物事が駄目になるという意味で「オシャカになる」という言い方がありますが、これは、花祭りのお釈迦さまに由来するという説があります。

 

【「火が強かった」→「4月8日」】

江戸時代は、江戸に金物職人がいました。金物細工を作る時、金物同士をつなぎ合わせるのにハンダを使っていましたが、ハンダの火が強すぎると、溶接した部分が溶けて、外れてしまいます。そういったものは粗悪品として捨てられていました。粗悪品ができてしまったとき、職人たちは「火が強かった」という表現をしました。江戸弁では「ヒ」の発音が「シ」になるので、「ひがつよかった」が「しがつよかった」になっていました。これが「しがつようかだ」と聞こえたため、それを「四月八日」、つまりお釈迦さまの誕生日にかけて「お釈迦」と言うようになりました。

 

【他の説】

①金物職人が鋳物で地蔵を作ろうとしたところ、顔がお釈迦さまに似てしまい、地蔵として使いものにならなかったというエピソードが由来。

②博打などで負けて無一文で裸にされることを、花祭りに登場する裸の誕生釈迦仏に例えた。

③お釈迦さまが着物を左前に来て寝ることから「経済的に苦しくなる」という意味の「左前になる」が「お釈迦になる」 に転じた、という説があります。

 

卯月八日(うづきようか)

 

【旧暦4月8日】

卯月八日とは、かつて農村で、旧暦の4月8日に行われていた行事のことです。4月8日はお釈迦さまの誕生日ですが、農村では、この時期に農地や山で仕事を始めるため、春の訪れを祝い、山に登ったり、花見をしたり、野遊びをして山の神様が降りてくるのを迎え、その年の豊作を祈願する風習がありました。仏事では、先祖の供養など、お釈迦さまの誕生日とは関係のない行事が行われていました。

 

【春の訪れを讃える】  

この日、東日本では、農事を休んで、山神を祭ったり山開きをする風習がありました。西日本では、石楠花(しゃくなげ)、山吹、卯木(うつぎ)、山躑躅(やまつつじ)などで花束を作り、竹竿の先につけて庭先や木の枝に掲げる「天道花(花立て)」をして、田の神を迎え、豊作を祈願しました。また「卯月年忌」というご先祖のお墓参りや、ご先祖のための「施餓鬼」が行われました。

 

テントバナ(兵庫県内・個人宅)

 

【影響し合った卯月八日と花祭り】

灌仏会が「花祭り」と呼ばれることは、花がよりしろとなる卯月八日の行事が、仏教行事へ影響したことに由来します。また、元々その地方にあった卯月八日の行事が、灌仏会で行われる風習の一部を取り込んで、農業と山の神、先祖を祭る独自の儀式として発達しました。

 

涅槃会(ねはんえ)

お釈迦さまは、陰暦の2月15日、80歳で入滅しました。この日、仏教寺院では「涅槃会」という法要が行われます。「涅槃」とは、お釈迦さまの入滅という意味です。入滅は、滅に入ること、つまり、肉体が滅する「死」を意味します。サンスクリット語で、涅槃は「吹き消すこと」という意味の「ニルヴァーナ」といい、ここでは、迷妄、煩悩のなくなった悟りの境地を意味します。お釈迦さまは、35歳で悟りを開き、その後45年間、人類の救済のため、多くの土地を説法行脚しました。80歳になったお釈迦さまは、最後の説法の旅に出ましたが、クシナガーラ(現在のインド北部、バラナシの北150km)のお城近くに着いた時、歩けなくなってしまい、河畔の沙羅双樹の下で、右脇を下にして顔を西に向け、頭は北に向けて横たわりました。涅槃の際、お釈迦さまの周囲には、十大弟子、諸菩薩、天部、龍、鬼、獣、虫など様々なものが集まり、別れを惜しんで嘆き悲しみました。お釈迦さまは悲嘆にくれるものたちを慰めつつ、この後も常に精進するようにと諭した後、目を閉じて涅槃に入りました。涅槃図は、その時の様子が描かれたものです。最後の説法が収められた「遺教経」は、お釈迦さまの教えが集約されている聖典で、禅宗では特に大切にされています。

 

浄土宗 見光山 大念寺 http://www.dainenzi.com/

<参考URL> ネパール観光情報局 http://www.dtac.jp 全日本仏教会 http://www.jbf.ne.jp 天台宗 湯島聖天 心城院 http://www.shinjyo-in.com コトバンク https://kotobank.jp ウィキペディア https://ja.m.wikipedia.org

(日刊サン 2017.04.07)