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一生青春、一生勉強 木曜午餐会、100周年祝賀会

Bynikkansan

1月 18, 2018

歌あり踊りありで、会場は和気藹々、どこも賑やか

 

 

毎週木曜日の午後のひと時、各界の講師の方を招いてお話しに耳を傾ける学びの場が、木曜午餐会だ。今年で100周年という長い歴史を祝う会が1月11日、アラモアナホテルで開催された。集まったのはメンバーの皆さんと、来賓の伊藤康一総領事夫妻、エコーイリマ男女混成合唱団や琉球古典音楽家のグランド村田夫妻など120人。

木曜午餐会会長の新名瑛(シンミョウアキラ)氏から来賓者や90歳以上のメンバーの方々の紹介とレイの贈呈があり、日米両国の国歌やハワイ州の歌の斉唱し、親しく和やかな祝賀会を楽しんだ。

 

自由を尊重し、ハワイ日系人社会のオアシスとして

木曜午餐会はNPOでもなく、会則も役員も会派も宗派も持たない。どこにも属さない、このいたって自由な集まりが、100年も続いたというのは異例であるし、とても貴重ことだ。

創立は1918年(大正7年)。発案したのは当時の諸井六郎総領事。「理想は高く、姿勢は低く、いつも心に太陽を持って、一生青春、一生勉強。今を自分らしく磨き、新しい自分を始めよう」という目標のもとに先人たちは、日米対戦中の一時期を除いて、勉強会を続けてきた。新名会長は挨拶でこう語った。

「実行力のある先輩方、報酬のない講演を引き受けてくださる講師の方々、そして木曜午餐会を愛し、結束して集まるメンバーの皆さんの力があったからこそ100周年を迎えることができました」

100年間で述べ10万人が学び、5千人の講師が講演したことになる。 「メンバーの誰もが学ぶことで頭を使い、講師の先生の人柄に接して心豊かになり、また友達と談笑して明るくなり、さらには会場まで往復して体を動かして健康になり、幸せな毎日を過ごすことを大切にしています」

“青春とは、若き肉体にあるのではなく、若き精神の中にこそある”を合言葉に、好奇心いっぱいの“現役”として、自分の可能性を追求することができる場が、木曜午餐会というオアシスだ。

一生青春!90歳以上のメンバーさんを祝福

 

木曜午餐会の歌を初披露。新名会長と編曲者の亀井典子さん

 

会場は和気藹々、どこも賑やか。右が伊藤総領事

 

祝賀会では、伊藤総領事もスピーチ

「今年は木曜午餐会100周年に加え、日本からの移民150周年という記念すべき行事も多く予定されています。戦前の1920年頃、日系人はハワイの人口の4割をも占めていました。例えばアジア人として初めて、アメリカの上院議員のトップに登りつめたダニエル井上さんは、1941年の真珠湾攻撃の時は大学生でした。パールハーバーに火の手が上がるのを見て、自分の人生は終わってしまったと思ったそうです。父母の国である日本と、自分が生まれたアメリカが戦争を始めてしまったのですから、引き裂かれる思いだったのでしょう。それでもアメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦いました。日系人が勇敢に戦ってくれたために、多くの犠牲者を出しつつも戦争は終結しました。そしてアメリカ社会で日系人の地位が認められました。パンチボールに行くと青い空と緑の芝生のもと、多くの日系人の方が眠っておられます。今の日米関係の礎となってくださった御霊です。戦後、ハワイの社会で日系人が躍進できたのも先人のおかげ。木曜午餐会はその証し人の集まりでもあるんですね」

伊藤総領事はスピーチした上で、今年は海外日系人大会がホノルルで初めて開催されることなどを報告。また、中国赴任が長かった伊藤総領事が見た、30年間の中国の急速な発展についても体験談とともに講演。参会者はさながら木曜午餐会の学びのように、興味深く傾聴した。

祝賀会はビュッフェランチをはさみ、100周年の思い出のスライドショーやリラックス体操、“木曜午餐会の歌”の初披露などを楽しみ、中野雄一郎牧師の一本締め、新名会長の挨拶で閉会した。

(取材・文 奥山夏実)