太平洋に囲まれたハワイで育ったならば、海とのつながりを感じない方が難しいことだといえるだろう。海は癒しの源であり、リクリエーションの場所であり、生命の源でもある。
また、海はハワイの文化の一部だと語るのは、海と海が提供してくれるもののケアテイカーであるサラ・ジェンキンスさん。ジェンキンスさんの生まれ育ったモロカイ島の海岸線に茂るレッドマングローブや、サンゴ礁への生態学・社会経済学的影響に対して、人々の意識を高めることが、彼女の任務。
その情熱によって、ジェンキンスさんと妹のリリー・ナルラニ・ジェンキンスさんは、5月にペンシルベニアで開催されたインターナショナル・サイエンス・アンド・エンジニアリング・フェアで「マーチ・オブ・ザ・モロカイ・マングローブ」というプレゼンテーションを行い、「地球・環境サイエンス部門」で1位を獲得した。
月曜日、ジェンキンスさんの情熱は、彼女にさらなる報酬をもたらした。毎年アウトリガー・カヌー・クラブで開催されているアウトリガー・デューク・カハナモク・ファンデーション(ODKF)のマハロ・ランチョンで、ジェンキンスさんが今年のアロハ大使(Ambassador of Aloha )に選ばれたのである。
この賞は、ODKFがハワイの学生・スポーツ選手に提供しているスカラシップの中で、最も有名なもの。アロハの精神の最良の手本である個人を表彰するもので、ハワイ最初のオリンピック選手であり、現代サーフィンの父として知られるデューク・カハナモクによって設立された。
「彼(カハナモク)の影響下に立つことに、私はとても謙虚な気分になっています」ジェンキンスさんは、先月のモロカイ・ハイスクールの卒業式で、告別の辞を述べた4人の中の1人。「彼は私の家族の生活に大きな影響を与えてきました。そして今、私の人生にさらに大きな影響を与えています」
モロカイ・ハイスクールのスイムチームのキャプテンだったジェンキンスさんによると、彼女の祖母は、1930年代にカリフォルニアのハンティントンビーチでカハナモクに出会い、カハナモク夫妻がハワイに引っ越した後も、友達付き合いを続けていたという。
「祖母はアイルランド系の白人で、泳ぎ方を知りませんでした。デュークは祖母に“こっちにおいで、泳ぎ方とサーフィンを教えてあげるよ”と言ったそうです。祖母は見ている方が好きだったそうですが、海への情熱を追及するために、祖父と私の父を勇気づけたそうです。私の祖父は偉大な海の男で、父はとても優れたサーファーです。
すべては巡り巡ってきました。ハパ・ハオレ(白人とのハーフ)のアイリッシュガールの私が、サーフィンと泳ぎ方を知っているのは驚くべきことです」とジェンキンスさん。
アロハ大使賞には、さらに1万ドルが贈られる。このお金は、ノース・カロライナのデューク大学で環境エンジニア学の学位を取得するのに十分なサポートだとジェンキンスさんは述べている。
「キャンパスはとても美しく、緑にあふれていて、まるでメインランド版のハワイのようです」ジェンキンスさんは、ハーヴバード大学とブラウン大学でも入学を許可されていた。「アメリカの反対側ですが、地元のコミュニティのように感じました。
モロカイで育った私は、コミュニティがいかに大切かということを知りました。コミュニティによって今の私が育まれたのです。新しいコミュニティでもハワイの文化を継承し、ハワイに還元し続けたいと思います」
月曜日、ODKFは奨学金として165,000ドルを提供した。内訳は、個人の奨学金が44人、スポーツ選手が7人、チームと団体が7つ、そして寄付活動のサポートとして15団体が選ばれた。寄付活動は、カハナモクのスポーツ選手としての栄光の一部であり、水泳、パドリング、パドルボーディング、ウォーターポロ、バレーボールが含まれている。
同団体は、カハナモクの125歳の誕生日を祝う「デューク125」というイベントの募金キャンペーンも発表した。