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ハワイの服飾の歴史

ハワイを代表する洋服といえばアロハシャツとムームーですが、ハワイの服飾の歴史は太平洋を渡ってやってきたポリネシア人たちが持ち込んだ文化からはじまります。その後、ハワイの歴史と大きく関係して変遷を遂げるのです。ハワイオリジナルの服飾について、その起源からハワイの正装として知っておきたい基本情報までをチェックしましょう! 

 

樹皮で作った服をまとった古代ハワイ

ハワイ先住民たちの時代は、ポリネシアの伝統的な『タパ』で作った衣服を身につけていました。  タパは、カジノキの樹皮で作る布で、樹皮を水に浸して柔らかくして、その表面を削り、さらに棒で叩いて伸ばして、乾燥させて作られます。  

この布地を使って仕上げる衣服は、男性は『マロ』と呼ばれるふんどしのようなもので、女性は『パウ』というスカート状のものでした。防寒として用いられたのは、タパ生地によるキヘイと呼ばれるケープでした。  

布地に植物や土により色や模様をつけるなどしてデザインを考え、細いタパを腕や足に巻いて装飾とするなど、おしゃれを楽しんだとされています。

 

西洋服飾が伝来

1778年、キャプテン・クックによりハワイ諸島が発見され、1820年にはアメリカからキリスト教宣教師がハワイにやってきます。こうした時代背景のもと、欧米からの文化がハワイへ伝わりました。

【男性はシャツの時代へ 】1800年代はじめ、ハワイ諸島を訪れたイギリスやアメリカの船員たちが着ていたのはフロックと呼ばれる長袖のシャツ。一方でアメリカの開拓者たちが着ていた1000(サウザンド)マイルシャツと呼ばれる作業服も伝わり、ハワイでもシャツが広まりました。諸説あるアロハシャツの原型はフロック、または1000マイルシャツと言われています。

【女性はドレスを身につけるように】1820年のカメハメハ2世の時代、宣教師の妻たちが着用していたドレスが、最初に王族に伝わりました。その後徐々に一般にも広まっていったのでした。  

布地についても、それまで使用していた布地タパから、レースやシルクなどの生地が出回りました。  

体型や気候の違いもあったことから、西洋のドレスはハワイアンスタイルにアレンジされ、できあがったのが『ムームー』でした。もう一つの代表的なドレスは『ホロク』と呼ばれるフォーマルなタイプで、ヨーク(切り替え布)がつき、後ろの裾が長いドレスでした。

 

農園の作業着がアロハシャツの原点

ハワイに移民が渡ってきた1860年代。サトウキビ農園での重労働に耐えられる丈夫な『パラカシャツ』が広まりました。ズボンの上に出して着られ、動きやすい開襟シャツで、その代表的な柄がチェック柄でした。『パラカ』という名前は、その原型とされるフロックがハワイの人たちの間で『パラカ』に変わり、やがてパラカシャツと呼ばれるようになったと言われています。

本から着物を持参していた日系移民は、着古した着物や浴衣の生地でこのシャツを作るようになりました。一方で日本の着物に魅せられたハワイの人がシャツに仕立てることを依頼したという話もあります。

 

アロハシャツの名前が定着

洋装が広まりはじめた当時のハワイ。最初の官約移民の一人が創業したムサシヤ商店などが仕立てたシャツが売り出されるようになりました。1935年、ムサシヤ商店がホノルルアドバタイザー紙の広告で『アロハシャツ』という言葉を使用しました。1936年には中国系商人エラリー・J・チャンが『アロハスポーツウェア』、1937年には『アロハシャツ』の商標登録を申請しました。こうした流れよりアロハシャツという呼び名が定着したとされています。

 

観光地化でお土産ブーム

第二次世界大戦前、アロハシャツが地元ハワイで浸透する一方で、アメリカ本土からの観光客が増えたことを背景に、お土産にアロハシャツを買い求める人も増えていきました。戦時中にハワイに立ち寄った米兵たちが休日にアロハシャツを着て出かけていたとも言われています。  当初は和柄が多かったアロハシャツですが、アメリカ本土や日本から生地を輸入するようになると、柄や素材が多様化していきます。特に高度な染色技術を持つ京都などで多くの生地が作られ、ハワイに送られるようになりました。南国風の絵柄が増えたのはこの頃です。  

戦後、観光地としてハワイ人気が確立されていく中で、アロハシャツはお土産としてさらに人気を博すようになっていくのでした。

 

アロハシャツ黄金時代

当初はシルク製だったアロハシャツに、レーヨン素材が誕生しました。レーヨンは、発色がよく、耐久性に優れ、低コストだったことからアロハシャツの生地として定着しました。1950年前後にはアロハシャツを生産するメーカーが次々と誕生し、ハワイにおけるアパレル産業は、砂糖とパイナップルに次ぐ産業となりました。  

1947年には、職場でアロハシャツを着て勤務する『アロハウィーク』が認められ、1948年に、シャツメーカーなどによるキャンペーンとして水曜日にアロハシャツを着て働くことを奨励する『アロハウェンズデー』が広まりました。さらに、1956年にはファッション組合によってカジュアルウェアデーとして『アロハフライデー』のキャンペーンがはじまりました。

 

アロハシャツの多様化

1960年代に、ポリエステルが登場すると、丈夫で洗濯しやすいことなどから、アロハシャツ素材の主流はポリエステルとなりました。さまざまなキャンペーンの効果もあり、ハワイでの日常生活にアロハシャツが定着していきます。デザインも多様化し、伝統的な開襟シャツだけでなく、頭からかぶって着るプルオーバーやボタンダウンなども作られるようになりました。いわゆるリバースプリントと呼ばれ、落ち着いたトーンが今もビジネスシーンで人気の、裏地使いのアロハシャツが出はじめたのもこの頃です。

 

『ムームー』と『ホロク』の 名前の由来

ハワイ語で『ムームー』は “切る” という意味があります。温暖な気候に合わせて袖や襟口、裾を短く切ったことから名付けられたと言われています。また『ホロ』は“走る”、『ク』は “止まる”を意味することから、当時伝わった足踏みミシンを動かしてドレスを作るところに由来するとされています。

1910年代のホロク
Mary Irwin Holkley所有(ハワイ大学)

 

ヴィンテージアロハとは!?

アロハシャツが進化を遂げ、その全盛期と言われる1950年代に作られたものがヴィンテージアロハ。生地は肌触りが良く、ドレープや光沢が美しいレーヨン素材。染めは抜染といい、生地を地染めした後に柄の部分の色を抜き、同時に他の色で染め付ける手法。または色を重ねるオーバープリント。ボタンはココナッツや貝など自然素材のものが使用されています。縫製はダブルステッチ。縫い目による柄のズレがないなど細部にこだわって作られているのがヴィンテージアロハの特徴です。

ヴィンテージアロハシャツ

 

アロハ・アタイア

戦後、アロハシャツのバリエーションが豊富になり、次第に正装として着用されるようになりました。『アロハ・アタイア』と言われるハワイのドレスコードは、男性はアロハシャツで女性はムームー。ドレスコードのあるレストラン、レセプション、冠婚葬祭で正装として認められています。ただし気をつけたいのは、TPOへの配慮が必要ということ。素材、形、着こなし方、さらにはそのモチーフが持つ意味も考えて選びましょう。

 

■素材と形

正統なアロハシャツとしてオススメはシルク素材の開襟シャツ。

 

■コーディネート

アロハシャツに合わせるのは長ズボン(スラックス)。色は白やベージュが一般的ですが、シャツに合わせてコーディネートします。靴は革靴が理想的。ムームーに合わせる靴はパンプス。ビーチウェディングの場合はサンダルでもOK。

 

■モチーフ

●結婚式:絡まり合いながら伸びることから強い結びつきを意味するマイレの葉の柄

●葬儀:万物の終わりの意味を持つラウハラの葉の柄

●オープニングレセプション:キャリアのスタートを意味するウル(パンの木)の柄

 

アロハシャツと有名人

デューク・カハナモク

ハワイの英雄デューク・カハナモク。競泳のオリンピック金メダリストであり、サーフィンを確立させたウォーターマン。1930年代にデュークブランドが立ち上がり、自らが広告塔となってアロハシャツを紹介しました。さらに1953年の名作映画『地上より永遠に』で、モンゴメリー・クリフトやフランク・シナトラが、デュークブランドなどのアロハシャツを着たことでアロハシャツがさらに注目を浴びることに。『デューク・カハナモク』は現在もヴィンテージアロハシャツを代表するブランドとして知られています。

 

トルーマン大統領

1951年12月10日付けの雑誌『Life』の表紙を飾ったのはアロハシャツを着たハリー・トルーマン大統領。トルーマン大統領はこの他にもアロハシャツを愛用していたとされています。この雑誌により、アロハシャツが全米に広まりました。

 

エルビス・プレスリー

1961年に公開されたエルビス・プレスリーの初主演映画『ブルーハワイ』。この中でプレスリーが着こなし、サウンドトラックのレコードジャケットにも使用されているアロハシャツはコットン素材の『TIARE TAPA・ティアレ・タパ』。劇中でプレスリーが着ていたアロハシャツはやや地味であることから、当時は落ち着いた色使いが流行していたことが伺えます。

 

 

ハワイアンジュエリー

起源はイギリス

ハワイを象徴するアクセサリーの一つハワイアンジュエリー。その歴史はハワイ王朝時代にさかのぼります。その起源は、イギリスにあるとされています。家族や友人への愛の言葉や思い出の言葉を彫り込んだゴールドジュエリーが流行した19世紀のヴィクトリア女王時代。ヴィクトリア女王は、最愛の夫アルバート王子の死を悼み、愛の言葉を黒いエナメルで刻み、スクロール模様のバングルを作り、身につけていました。  

当時イギリスとハワイ王朝は親密な関係にありました。特に親交が深く、後にハワイ王朝第8代女王となったリリウオカラニもアルバート王子の死を悼み、ハワイの言葉で“永遠の想い出”を意味する“ホオマナオ・マウ”という言葉を刻んだバングルを作り(ヴィクトリア女王に贈られたという説も)、一生身につけたと言われています。

 

大切な人への贈り物に

リリウオカラニ女王は、その後ハワイを代表する歌であり、“あなたに愛を”の意味を持つハワイ語“アロハ・オエ”の文字と日付を刻んだジュエリーを作り、宮殿行事に尽力したイギリス人の恩師に贈りました。このことが一般に広まり、大切な人へ、言葉を刻んだジュエリーを贈るようになりました。贈られた側はそのジュエリーをお守りのように身につけました。

 

ハワイオリジナルのデザインへ

当初は黒のエナメルで刻印されたゴールドのバングルが主流でしたが、やがて森羅万象に神々が宿ると考えるハワイ独特の文化と融合し、波、マイレの葉やプルメリア、ホヌ(ウミガメ)などをモチーフに彫られるようになります。それぞれのモチーフには意味があり、願いとともに贈られ、受け継がれるようになりました。ハワイアンジュエリーは正式には『ハワイアン・エアルーム・ジュエリー』といわれるように、代々受け継がれる宝(エアルーム)として、お祝い、誕生などの記念に作られ、親から子へ、子から孫へ、または、大切な人へと受け継がれていくものとなったのです。

 

ハワイアンジュエリーのモチーフの意味

波(スクロール)

寄せては返し、途切れることのない波は、「永遠の愛」を表し、「海から幸せを運ぶ」という意味も含んでいます。

 

ホヌ

古代からハワイの人はウミガメを神聖な生き物して崇めてきました。幸運を運んでくれる「海の守り神」という意味があり、危険や災いから身を守ると信じられています。

 

マイレの葉

「縁を結ぶ」などの意味があり、大切な人との絆を表現します。ハワイの結婚式では、花婿の首に下げられるレイとしても有名です。

 

プルメリア

神が宿る神聖な花とされ、「愛」を意味しています。また、「優美」「気品」「魅力」という花言葉を持ち、身につけると魅力が増すとされています。

 

ハイビスカス

昔から「神に捧げる花」とされてきました。「繊細」「美しさ」「新しい始まり」を意味し、輝かしい未来や、新しい恋を望む人に出会いのチャンスが訪れると言われています。

 

パイナップル

「おもてなしの心」を表し、「大地と太陽の恵み」、「富と財運の象徴」といわれています。金運が上がり、繁栄を願う意味があります。

 

 

 

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/タパ、アロハシャツ、ムームー(衣服)

写真:ウィキメディアコモンズhttps://commons.wikimedia.org/wiki/